高和の名所マップ


性海寺

性海寺は、聖武天皇の天平2年(730年)行基菩薩によって開かれました。本尊如意輪観世音は天皇から下賜された香木を行基菩薩自ら礼刻せられたものです。白河天皇の御代に奈良西大寺より当時随一の学僧叡尊、興正菩薩が来往して一山の復興に努力したため、播州の学山として大いに栄え、修学の僧雲集して七道伽藍完備、70余の僧坊甍を連ね、後嵯峨・後深草両天皇の篤い帰依を受け、寛元3年(1245年)と建長6年(1254年)に勅願寺と定められています。
                                         本殿

 

建武の中興(1334年)では足利の尊氏側に付いて僧兵を出したという執達状や院宣が残っています。その際南北朝の争乱によって焼失しましたが、天正7年(1579年)の羽柴秀吉の三木城攻めで、再度焼失してしまいました。
  参道の仁王門
 
 
現在の本堂は、徳川三代将軍家光より慶安元年(1648年)朱印を下賜され、さらに天下泰平、国家安穏の修正会、追儺式を命ぜられ、復興もまた著しかったです。
現在では、福智院、龍華院の2坊を残すのみですが、多くの石仏に囲まれた本堂は歴史を感じさせます。修正会、追儺式は、今もめんめんと受け継がれており、毎年成人の日の午後1時から盛大に行われています。
 明石西国観音霊場16番札所、 播磨西国観音霊場25番札所
境内には、厄除八幡神社も祀られており、祭礼は1月19日。福引、餅撒きなどが行われます。
 
 詠歌
 舟つなぐ 磯辺に近き 性海寺   高和の山に 波やこゆらん
・福智院
  天正7年(1579年)秀吉の三木の別所攻めの際、兵火によって客殿を焼失、寛政5年(1793年)10月、智月上人によって再建されました。
・龍華院
  福智院と同様に焼失、天宝元年(1830年)4月中興源昌上人によって再建されました。
・宝珠院
  現在は廃寺となり、跡地は「自然環境活用センター」となっています。
 


  龍華院                                  福智院

 

性海寺の追儺式


 真言宗高和山性海寺に伝わる宗教行事として、1月15日に行われます。性海寺本堂にて、午前10時から真言宗7寺院の僧侶が参堂し、世界平和、五穀豊穣、家内安全の祈願のため、読経があり、午後有志により追儺式が行われます。
 親鬼の赤鬼、青鬼とチョロ鬼と称される赤鬼、青鬼が松明と斧を両手に持ち、太鼓と法螺貝の音に合わせながら、交代して所作を繰り返します。
その間、小学生の児童10人程度がヤンヤの子と呼ばれる鬼の子となり、棒をカチカチ鳴らして踊るのも一興です。



 

性海寺本殿


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